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2005年 代表選抜試験で出題された問題とその解説 (2008.12.17)

問)地球を周回するスペースシャトルに搭乗する宇宙飛行士には、微小重力下(一般に無重力)の宇宙空間に到達してしばらくの間は、顔が丸く大きくふくらむ症状が現れるが、環境に適応することによって顔のふくらみも減少してくる。これに関連する正しい記述はどれか。

A スペースシャトル内の気圧が低いため、特にやわらかい顔が丸く大きくふくらむ。
B 微小重力の影響で顔の筋肉が増し、丸く大きくふくらむ。
C 地上より使用する機会が多くなるため顔の筋肉がひきしまり、ふくらみは小さくなっていく。
D 地上より筋肉を使用する機会が少なくなるため、数日で顔の筋肉が落ちてふくらみは小さくなっていく。
E 血圧の変化が感知され、体液の量や血球数も減ることで、顔のふくらみは小さくなっていく。

答え)

解説

A スペースシャトルの船室のなかの圧力はおよそ1気圧に調節されています。月に飛んだアポロ宇宙船で船内の気体を純酸素にすることで内圧をさげるようにしたところ発射台上での船内火災でクルー三名が死亡した事故があったこともあり、普通の大気組成と圧になった歴史があります。ただし、船外宇宙服を着てスペースシャトルなどの外にでて作業をする場合には、低い船外宇宙服の内圧までゆっくり減圧する必要があり(急に減圧すると血液中に溶存していた空気が泡になって脳内の血管に詰まる障害=潜水病をおこす)、船内圧力を0.7気圧ほどに下げておきます。これにより船外活動の準備の時間をみじかく(8時間くらいに)できます。船外宇宙服の内圧を低くするのは、船外宇宙服からもれる空気の量を減らしたいということと、宇宙服の中の圧力が高いと腕や指を動かすときに繊細な動きができないためです。
 このようなスペースシャトルの船内圧力のことを知らなくとも、船内気圧がずっと同じであれば顔はふくらんだままだとも考えられるので、Aはただしくないことがわかるでしょう。風船から空気がもれてしぼんでいくのとおなじことがおこるかもしれない というと、この判断は少しぐらつきます。しかし、気圧が下がって顔がふくらむかは、台風や低気圧の通過時に丸くなるかでたしかめられます。機会はすくないかもしれませんが、ジェット飛行機に乗ると、高度10kmほどでの巡航高度では外気の圧力は0.25気圧、風船のようにふくらむ与圧機体への機械的な負荷を低減するために機内圧力は0.7気圧くらいにします。飛行機の中で顔は丸くなるでしょうか?顔は柔らかいですが、その中に風船のように気体が閉じこめられていることはなく、ほとんど液体であるとみてよい。(ただし、風邪引きで鼻が詰まっている状態で飛行機に乗ると、内耳に閉じた気体の空間ができてしまい、降下時に機内圧があがると内耳にうまれる圧力差のために痛くなる。)液体や固体は圧力が変化しても容積はさほど変わりません。このことからも、Aはただしくはありません。顔面の皮膚が弾性をもち、地上では重力により下ぶくれとなっていた顔が、宇宙では皮膚の弾性により持ち上げられて丸顔になったと考えてもよさそうですが、問題に添えられた毛利宇宙飛行士の地上での顔は下ぶくれにはみえません。

 微小重力では、重力に抗して重い体をささえたり、重い体の一部を重力のもとで動かすための筋肉の働きは必要ではなくなります。ただしある質量の物体に同じ加速度をあたえるために筋がだす力は地上でも宇宙でも同じです。抗重力のための持続的な力をうむ筋繊維は、微小重力環境でその用がなくなると、瞬発的に大きな力をだす筋繊維のタイプにかわっていき、また筋の総量は減少していきます。用がなくなるからそのような変化がおこるのか、あるいは重力が筋細胞に直接的な作用をおよぼしている効果がくわわるのかは、まだあまりよくはわかっていません。ただし、一般的には筋は微小重力下で萎縮していくといわれています。このことを知っているかどうかがこの設問の判断を左右するかというと、そうでもありません。運動競技に勝とうとして筋量を増そうとしたときに、どれくらいのトレーニングと期間を要するかを知っていれば、Bが正しくないことを推定することができます。ただしスペースシャトルでは宇宙滞在が最長2週間という基礎知識はいるかもしれません。

C 宇宙では筋が萎縮するだろう、腹筋は腹圧をあげて(毒を食べてしまったときに)吐き戻して毒により死ぬことを防ぐこと、および胎児を分娩するために作られているのだから、宇宙での出産が困難になるかもしれない という仮説をたてて、メスのネズミの腹筋について宇宙実験がされました。結果は予想と逆で、宇宙実験群のほうが地上対照群より腹筋が発達することがしめされました。微小重力状態で飼育容器の床や壁からネズミが離れてしまい、指先でなにかの表面にさわっていることができず、何匹かのネズミが微小重力空間で団子状にまとまり、お互いが身をよじって運動し続けたことによる腹筋の発達であろうと解釈されました。筋を使用することにより筋は肥大していくのであり、Cは正しくないと推定できます。ただし、筋が発達することで大きな力が出せるようになると、その部分全体を「引き締める」ことはあるでしょう。宇宙で顔の表情をきりっと引き締めているのであれば、あながちCが違うということはないかもしれません。

 筋の不使用で筋が萎縮していくという推論はうなずけます。ただし、微小重力への曝露の初期になぜふくらむのかが説明されていません。また、なぜ顔の筋が宇宙で不使用となるのかも解せないところです。重力に抗してからだの重量を支えるといった筋は、肢であったり、内臓の重みを支える筋です。(直立するヒトの腹筋のはたらきには、嘔吐、分娩以外にも、これがあります。)顔面の筋が抗重力の働きをするかが Dが正しいかを判定する手がかりにもなります。骨でも抗重力のはたらきをする下肢などの骨と、頭骨など重力とは関係のない骨があり、重力に対する応答は異なります。骨細胞の重力応答をみようというときに頭骨由来の細胞をつかうのは疑問なのです。
 自分の顔面の筋を指で触りながら動かしてどんな働きに筋が使われるかをみてみましょう。顎をうごかしてものを咀嚼したり、笑ったり泣いたりする顔の表情をつくるのに使われるのがわかります。生物学をこえる内容ですが、宇宙にいくと、顔面の筋の使用がおちるような生活とは逆の忙しい状態になるのが通常です。

E 直立姿勢のヒトの場合には、地上では重力により体液が下方に引き下げられ、下肢に多く分布します。微小重力状態となると下肢から上半身や頭部側に体液が移動(シフト)します。これにより顔がふくらみます。ムーン・フェースとよばれます。血液の循環系には圧受容器があって、血液量が多くて血圧があがると尿量を増やして血液量を減少させて血圧をさげるホルモンを働かせるというフィードバックがなされます。宇宙で下肢から体の上部に移動すると体の上部にある圧受容器が血圧の上昇としてとらえます。体液量をこのしくみで減少させるので、顔のふくらみは徐々にもとにもどります。ベットに横になり頭部側をおよそ6°下げた状態が、微小重力状態での体液シフトをよく模擬するといわれます。宇宙から地上に体液量がへったままもどると、起立したときに脳へおくられる血液量が十分でなく、よろけたりします。帰還前に体液と等張の液をたくさんのんだり、下半身を陰圧にして地上での体液分布を模擬して体液量を増加させるといった対策がなされます。逆に、宇宙に飛び出す前に摂水量を少なくして体液量を少なくしておくと宇宙酔の予防ができるという宇宙飛行士仲間の言い伝えがあったり、ロシアでは初めてガガーリンが宇宙を飛ぶ前に発射場近く(トイレではないところ)で排尿したというので、その場所で同じことをするという儀式ができたとのことです。
 脳へおくられる血流量を適切な範囲に(短い時定数で)調整するしくみもあります。体がおおきく心臓と脳の位置(静水圧差)が姿勢により大きく変化する動物で、重力にからむ脳への循環量の調節機能はよく発達しています。首をながくしたキリンは高い木の葉や地表の草も食べるのですが、この調節機能よく発達させています。大きなヘビでは、樹上棲の種でこれを発達させているのですが、地表棲の種にはその能力がなく、大きな地表棲のヘビを垂直に垂らすと、それだけで死んでしまいます。
 ムーン・フェースやその後の適応のありさまや、およそのしくみはわかっており、下半身陰圧負荷とか対抗策もいろいろ考案されていますが、まだまだそのメカニズムのすべてがよく理解されているわけではありません。つい最近も、地上帰還後のデブリーフィングの会場で二度にわたって倒れたために、両脇を抱えられて退室した宇宙飛行士がいました。若い研究者がとりくむとおもしろい研究対象でもあります。

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