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吉崎誠先生のご逝去を悼む

 

 2011年9月10日夜に吉崎(正しくは立崎)誠運営副委員長がご逝去されたことを知り、この突然の悲報に驚くと同時に言葉を失いました。享年68歳でした。

 吉崎先生は、お亡くなりになる10日くらい前にも、東北地方、とりわけ青森県や秋田県の高校を訪問されて、日本生物学オリンピックへの参加を直接呼びかけてこられ、そのことを力強いメールでお知らせいただいておりましただけに、今でも信じられない気持ちでいっぱいです。
 先生は、国際生物学オリンピックならびに日本生物学オリンピック、そして若い次の世代のことを心底よく考えておられました。そして、そのお考えを実際の行動に積極的に移される行動派の先生でした。
 ご逝去の報はとても残念であり、心に大きな穴があいた感じがします。

 振り返ってみれば、吉崎先生あっての現在の国際生物学オリンピック日本委員会(JBO)と言えるように思います。
JBOの草創期から、その後の発展、そしてようやく軌道にのりつつある今日の姿を想えば、その貢献は計り知れない大きなものであったことを改めて実感しています。

 JBOの発足当初、先生は東邦大学理学部生物系教室のメンバーを動員されて、国内第一次試験の問題作成委員会を立ち上げられ、さらに2005年と2006年の国内第二次試験、特別教育を開催実施するなど、積極的に活動を推進して下さいました。あれ程までに東邦大学が一丸となって協力してくださったのも、先生の人望と同大学の教育ミッションに対する意識の高さの証だったのだと思います。ひいては、先生が「IBO2009」の日本開催実現に向けて多大な貢献をされましたことも忘れることは出来ません。

 吉崎先生は、JBO運営委員会でも常に生徒や高校教員の側に立った発言をされました。自ら多くの高校を訪ねて直接意見の交換をされ、校長や教員に日本生物学オリンピックへの理解と協力、そして挑戦を促されました。其の足跡は余人をもっては代えがたいものであります。
 また、先生ご自身の40余年に亘る研究活動を纏められ、東邦大学在職中に収集された8万点に及ぶ海藻の乾燥標本と2千点の液漬(浸液)標本を、2010年に岩手県山田町に寄贈されました。ただ、その標本の殆どが2011年3月の地震による津波で失われてしまい、さぞつらい思いをされたであろうことを思うと胸が痛みます。それでも先生は積極的に被災各地を回られ、日本生物学オリンピックへの参加を呼びかけてこられたのでした。
 2011年に日本生物学オリンピック過去最多の参加者数を得たことは吉崎先生のご努力の証です。これ程までに次世代の教育に熱い思いを持っておられました先生が、もうこの世におられないということに深い寂しさを覚えますと同時に、これから私たちは何をなすべきか先生に学ぶことの大きさに気の引き締まる思いです。

 今はただ吉崎誠先生の長年にわたるご尽力とご指導に心から感謝を申し上げますとともに、安らかなご永眠をお祈りいたします。

 吉崎先生、本当に色々とお世話様になりました。有り難うございました。

       合掌

             国際生物学オリンピック日本委員会 委員長 浅島 誠

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